フィリピン人はなんで英語が話せるの?
こんにちは!インターンの会田です!!
いつも先生と授業を受けていて、いろーんなことを話すのですが、フィリピンと日本の違いによく驚かされます。先生も驚きます!笑
今回はその違いのうちの1つについて調べました!
フィリピンに来て思った私の最初の疑問は、フィリピン人は「なんで英語が話せるんだろう?」っていう根本的な疑問です笑
完全に私調べなので、間違ってても怒らないでね(⌒▽⌒)
この疑問はセブ島に留学中の方は一度は先生に聞いたことがあるかもしれませんね!
もちろんペラペラな人ばかりではないし、訛りの強い人もなかにはいますが、
町中のどんな人でも、90%の人は簡単な英語は普通に話せるし理解してくれます。日本じゃ絶対にありえないですよね!
数人の先生やフィリピン人の方に聞きましたが、答えは一緒でした。
①第二公用語が英語だから
→フィリピンには代表的な言語が2つあって、タガログ語、ビサヤ語を始めとして100個くらいの言語があるそうです!
この言語間には意志疎通ができないくらいの違いがあり、そういう時に英語を使って話すそうです。
②小学校から授業が英語だった!
→小学校から国語の授業以外は全部英語で行われたそうです。
もちろん、中学、高校も!
大学も講義は全て英語で行われているようです。
そこで実践的に英語を用いているので、話すのも聞くのも慣れてるんですね!
道ですれ違った子供や島で会った子供がすごく綺麗な発音で英語を話しているのを聞いて、本当にびっくりしました。
③街中が英語で溢れてる
→これは私も感じました!
多くの看板、CMは英語、レストランのメニューもすべて日常的なものは英語!
映画館で上映されてる映画も英語音声でもちろん字幕なし!英語分からないと楽しめませんね(笑)
教会に行った時も、神父さんは8割英語を話していて、聴衆はみんな理解してました。すごい。。。
しかし、そもそもなんで第2公用語が英語なんだろう?
『街に英語が溢れてるんだろう?』
調べました!これも私調べですので保障はできません!!笑
フィリピンで英語が1つの公用語となった背景としては、
フィリピンがアメリカの植民地であったことが大きな要因です。
すんごーーく長くなってしまうので、簡潔にまとめると、
1521年にマゼラン(スペインの人)フィリピンにくる。
ラプラプ(セブの人)戦って勝利するが、スペインの侵略とまらない。
ちなみに、これの由来のお祭りもあるくらい♪
詳しくはこちら!(^^)!
1565年にミゲル・ロペス・デ・レガスがセブ島陥落させる
ここでスペインの植民地に!
ここから300年以上スペインの植民地でした。
この影響で、今でもスペイン語が使われていたり、スペインっぽい顔立ちの人がいるんですね~
1898年、フィリピン国内では独立を望む人がたくさんいました、それに目をつけたのがアメリカでした。
フィリピンの独立を手伝うから米西戦争の協力をして!と近寄ります。
フィリピンはフィリピンに駐留しているスペイン軍と戦い勝利し、独立!
のつもりでしたが、アメリカが約束を破り、スペインと話し合い2千万ドルでフィリピンを譲り受けることに!
怒ったフィリピンはアメリカと戦うことを決意しましたが、勝つことができず、アメリカの植民地に、、。
しかし、アメリカは将来的な独立を約束していたので、
1934年にフィリピンを独立させます。
しかし!!またもや邪魔者があらわれます。
それは、、、、、、、
日本です。
1942年に日本軍はマニラを制圧→1943年にフィリピンもう一回政府作って独立→でも日本の傀儡政権で、実質の統帥権は日本にある→1945年の日本敗戦に伴い再独立
ここでやっと独立!!
長くなるので詳細ははぶきますが、、
そんなこんなでアメリカに統治されていた約50年間が今の英語環境を作った要因となっているんですね。
長い植民地支配を経て、今があるんですね。。
現在セブ島では英語圏の顧客を対象にしたコールセンターがたくさんあり、そこでフィリピン人が英語を使って普通に仕事をしています。
英語ができれば先生にもなれるし、コールセンターで働けるし、外国人がたくさんくる観光客向けのレストランでも働けます。
英語力の有無が職や生活レベルに強く結びついているので、
英語ができればある程度の暮らしができる!!とみんな目的意識をもって勉強してるのかもしれないです。
私も見習いたいと思います!
ぜひ、皆さんもフィリピンへ遊びにきてみてください!
以上インターン生の会田でした。
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